思いを馳せ、未来に望みを託す

新聞ってすごいなぁとつくづく思います。よくもまぁこれだけの情報を毎日毎日きっちりまとめて世に出しているなぁと。

「これを読んでいないと世の中の流れに云々・・」みたいに釈迦に説法なことは言うつもりはないですが、時々社説やコラムに本当に感動したり考えさせられたりすることがあります。

本日の日本経済新聞朝刊の「春秋」に載っていたものをそのまま書いておきます。今の自分自身の境遇も含めて、久しぶりにぐっとくるものがありました。

 

 

京都大霊長類研究所で暮らす、あるチンパンジーの物語である。名前はレオ。24歳の時に、首から下が動かなくなる神経の難病を患った。食べ物を受けつけなくなって、日増しに痩せ細っていくが、表情は元気な時と何ら変わらない。落ち込む様子も見られなかった。

このところ増える自殺のニュースに触れるたび、十数年前に取材したレオの闘病生活を思い出す。チンパンジーは目の前にある「いま、ここ」しか知らない。だからこそ深刻な病気になっても人間のように、将来を憂い、絶望することもない。生き物はどれもそれぞれの知覚でとらえうる世界を生きる。「環世界」という。

片や私たちは進化の過程で言葉を手にした。それによって時間や空間を行き交うことができるようになった。今つらい状況に置かれていると、将来をどうしても悲観する。が、思いをはせる力があるからこそ、未来に望みを託すこともできよう。絶望と希望とはささいなきっかけで転じる、コインの表と裏の関係にある。

生活苦や健康問題、仕事や学校の悩み・・・。自殺の理由は様々だが、「生きていても仕方ない」と明日への望みが絶たれた末に命を絶つ。先の見えないコロナ禍は、いつまで続くのだろうか。ちなみにレオは介護のかいがあって、その後、起き上がれるまでに快復した。38歳になった今も穏やかな毎日を送っているそうだ。

 

 

我々は社会の大きな枠組みや健康などという、どう抗いても変えることの出来ない宿命の中で生きているということは事実でしょう。そして私は「いま、ここ」にしかいません。ならばその状況を受け止め、思いを馳せ、未来に望みを託して生きていこう・・・そうあらためて考えさせられました。

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