銀行の支店長や支店長を統轄するエリア長をしていた時、たくさんのお客様や部下や後輩たちが、向こうから挨拶してくれ、敬語を使って話してくれて、頭を下げてくれました。
しかしそれは「中西務」個人にしてくれているのではなく、あくまでも「銀行の支店長・エリア長」に対してしてくれています。
それを「自分は偉い」と勘違いする人は支店長でなくなった時に苦労します。偉いという表現が正しいとすれば、それは銀行の支店長であって個人ではありません。
現に私が銀行を去るとわかった時、またこの人は今後行内でもう偉くならないとわかった時、今まで米つきバッタのように頭を下げていた支店長たちが何人もすうーっと引くように去っていきました。そのあたりのところは、私は十分心得ていたので、「へー、やはりこうなるのかあ。」と思う程度で済みました。
しかしその一方で「中西さんには世話になりましたから」と今でも全く変わらず付き合ってくれたり、知人を紹介してくれたりした人たちもいます。
退職したと連絡のはがきを発送したら、心配して「何か出来ることがあったら言って下さい」と電話してきてくれた昔のお客様も何人かいらっしゃいました。
自分が苦しい時は、人の温かみがよくわかるものです。
それは決して派手なパフォーマンスなどではなく、じんわりと温かいものです。
そういう人たちに対しては、私は生涯自分に出来ることであれば全力でやってあげて助けようと思っています。
長く付き合える人というのは、そういう人たちだと私は思っています。
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